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積極的日本市場選択のススメ

 週刊東洋経済の2013年3月2日号の記事『日本でも、中間層の仕事がなくなる?』を読みました。著書『ワーク・シフト』で話題になったリンダ・グラットン氏と、『10年後に食える仕事、食えない仕事』の著者、渡邉正裕氏の対談です。ワーク・シフトの内容に真っ向から対立する渡邉氏の主張は大変おもしろいものがありました。ただ、実は行き着くところは同じでは?という気がしたので、そのことについて書いておきたいと思います。

渡辺氏の特徴的な主張は以下の2つです。

1.日本は1500兆円の個人金融資産を背景とした巨大な国内市場があり、国内向けだけでも十分食べていける。

2.一部の優秀な人以外の普通の中間層は、負けるためにわざわざ外に出ていかなくていい。(1の前提があるからこそ。ということだと思います。)

 この主張には、確かに納得するものがあります。記事にも書いてありますが、韓国などは国内市場が小さいからこそ、グローバル化する必要があるわけです。そして国内が規模として大きいのであれば、わざわざ負け戦をする必要もありません。

 それでも自分は、グローバルを意識する必要があると思っています。それはなぜか?これも記事に書いてありますが、技術・もしくはアウトソーシングによって、中間層の仕事が減少するということはすでに起こっているからです。

 海外で働くことが向いていない人が海外に出て行く必要はないでしょう。しかしこれは、海外が向いていないということではなく、日本が向いている。という理由でなければいけません。消極的に日本を選ぶのではなく、世界で働くこと、日本で働くことを同じ目線で比較した時に、日本人で、日本語がわかり、日本の土地勘もある。だからこそ日本で勝負することが有利である。という結論が望ましいのです。そうではなく、ただ日本に生まれてしまったから日本で仕事をしているという人は今後、技術やアウトソーシングの波に抗うことができないでしょう。同じ日本人に雇用を奪われる可能性も当然あります。たまたま仕事を取られなかったとしても、それはたまたまの話であり、意識的に仕事を確保できたと言うことではないと思います。

 実際に、技術・アウトソーシングの波はやってきているのです。それを明確に意識した上で、自分の仕事は置き換わることはないのか?これらよりもアドバンテージがあるのか?そこをはっきりとわかっていないと、日本にいようが、海外にいようが、結局残念な結果になってしまうのだと思います。

 ということを考えると、冒頭に述べたように、日本で仕事をするか?グローバルに攻めるか?などということは本質的な議論ではないということになるのではないでしょうか?