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子どもがいるから、自由に生きる。

感動話として話題になりましたが…。慣れの恐ろしさ。

 ここ数日、はてブなどで『25年間会話のない夫婦の仲直り』という動画が話題になりました。

 まとめると、出産後にお母さんがお父さんをかまってあげず、お父さんがスネた。引っ込みがつかなくなって、25年会話をしなかった。というものです。「会話するようになって、良かったね」とは思うのですが、何かもやもやするものがありました。

 色々考えているうちに特に気になったのが、最後のカンニング竹山氏の発言です。どうも最初は拗ねて話をしなかった。でも、途中からは話したくても話せなくなってしまった。ということを発言しています。

 これ、めちゃくちゃ恐ろしいことではないでしょうか?何が恐ろしいか?それは本人が望むか望まないかに関係なく、一度慣れてしまったものは、そう簡単には変えられない。本人が望んでも変えることができないという事実です。そしてこの状況を打破することは、自分の力だけではとても難しいのです。現に今回はテレビ番組出演という、一般人にはとても大きなイベント乗り越えることがきっかけとなりました。本人に「現状を変えたい」という気持ちがあるかどうかですが、ここまでいってしまうと、荒療治しかないのだと思います。

 しかも、実はこの会話をしないという状況に馴染んでしまったのは、お父さんだけではありません。お母さんもお父さんは返事しないということに慣れてしまっていました。また、今回、テレビ番組に相談したのは末弟でしたが、よく見えれば兄弟もみな、両親が話しをしないということに違和感を覚えながらも、それを当然のものとして受け入れてしまっていたのです。一番若い、末弟がこの状況を改善するきっかけをつくったというのも、象徴的だと思います。若いからこそ、一番感受性が強いからこそ、違和感に耐えられなくなったのではないでしょうか?

 では、このような状況に陥らないためにはどうすればいいのか?それは、仮に今の状態がずっと続いたとしても、おかしくはないか?ということを、常に考えておくということではないでしょうか?そのような思考をすることで、もしずっと続くのがおかしいと思うのであれば、早めの段階でその状況から脱出することを考えるべきです。早めの段階であれば自分で変えられます。しかし、最初に取り上げたように、この状態が続くと、自分で変えたい、変わりたい、変えなきゃいけないと思っても、自分の力だけではどうにもならないということになってしまう可能性があるのです。慣れというのはそれほど、とんでもなく、恐ろしいものである。という認識を持っておきましょう。