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子どもがいるから、自由に生きる。

コミュニケーションのコスト

 人と話をするのって、楽しい半面、めんどくさいことがありますよね。(と思っているのは私だけでしょうか?)自分は例えば、会社の不満を家族に話すときに、聞いてほしいという気持ちと、ちょっと面倒だと考えている気持ちが共存したりしています。その理由を考えてみました。

背景から話さないといけない

 会社の愚痴、不満を話すとき、まずは登場人物の説明からはじめないといけません。また、例えば勤務体制の不満であれば、どのような組織なのかも話をする必要があります。自分としては、特定の事象に関する話をしたいだけなのに、そこまであれこれ事前に話をしなければいけないのは、少々面倒に思います。

理解してもらえるのかわからない

 このように手間をかけて話し始めたとしても、状況を100%理解してもらえるとは限りません。説明の仕方が下手ということもありますし、聞く側がそもそも聞く気があまりなければ、やはり理解度は低下します。繰り返しですが、愚痴なり不満なりを聞いてもらいたいのに、そのまえの前提がそもそも正確に伝わらないというジレンマがあるわけです。

だったら、知っている人に

 このような状況を考えると、会社の愚痴を話すのは、家族よりも会社の人のほうが話が早い。ということがありますね。あまり会社の愚痴、不満を会社の人に話すのは良くないと思っています。が、それでもやっぱり理解度のことなどを考えると、会社の人に話す方がいい。ということがあるわけです。

 自分はこれをコミュニケーションのコストの問題だと考えています。事前に共通認識があれば、コストをかけずとも済むわけです。逆にいちから説明するとなると、コストがかかってくるわけです。コミュニケーションにも、時間、手間などのコストがかかっています。これをいかに軽減するか?ということが、仕事でもプライベートでも大事なことになってくるのだと思います。

では、またあした!