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子どもがいるから、自由に生きる。

なぜブログを書くのか?

 いきなり本題です。僕がなぜブログを書くのか?といえば、文章の練習が大きな理由の一つです。というのも、読んでいる人に大変失礼ですが、私の文章はつまらないのです。しかも何を書いているのかわかりにくい。それじゃまずいよなという思いから書いています。書くこと自体は嫌いではないのです。ただ、人の気持ちを揺さぶるような文章が書けない。

 私は読書会というものに参加しています。人数は3人程度から多い時で8人程度。この読書会では課題図書を読み、それについて意見を話していくのですが、その際に「doさんの文章はその通り!ということが書いてあるんですけど、面白くないですよね。」と言われました。いやー、これいわれたとき、2日くらい悶々としてしまいました。でも、わかるんです。ありきたりなんです。オリジナリティがないんです。ただ、それじゃまずいとも思っているんです。だから、ブログを書くことにしました。ここでブログを書く前は、書評ブログみたいなものを書いてました。というか、今もそのブログは記録用として残してあります。これがまた、つまらないんです。書いた後しばらくして読み返しても、つまらない。ありきたりのことしか書いてないから。こうやってこの文章を読むと、doってすげーネガティブなやつだなって思われると思うんですけど、そうでもないんです。まぁ、ネガティブなときもありますけど、文章がつまらないことについては、もう達観してしまっているんです。だから、それはそれでいいんです。問題は、つまらない文章でありながら、それでもそれを書き続けているとどうなるのか?ってことなんです。書いて書いて書き続けていると、ちょっと面白くなるかもしれない。いや、全然面白くならないかもしれないですけど。とりあえずやってみようかなって。日記は毎日書いてたんです。だから、こうやって文章を書くことは苦じゃないんです。ただ、やっぱり日記は人に見られるってことを考えてないので、気持ちの整理にはなっても、文章力向上には役立たないということが、この歳にしてわかりました。それと、実際に私という人間がつまらないとか、日常がつまらないとかではなく、文章がつまらないんです。もしかしたら私自身がつまらないのかもしれないですけど、「お前、つまらないなー」とはあまり言われたことがないので。思っても、いう人は少ないと思いますが。だからとりあえず、人間としては面白い(とまではいわないけれど、まぁ普通で)けど、文章がつまらないのだ。ということにして、ひたすら文章書いて、少しは人に読んでもらえる、人の心に届く文章をかけるようになりたいです。そのために、ブログ書いています。

追記1。自分の考えたこと、学んだことを少しでも共有出来ればそれはそれで素晴らしいことかなと。自分の中だけにためておくのはもったいないかなと。「別にそんなこと頼んでないよ」って人もいっぱいいるかとは思うんですけど、もしかしたら一人でも役に立つ人がいるかもしれないので、そういうこともちょっとだけ期待して、ブログ書いてます。

追記2。あともう一つ。これは単に、自分の考えていることを外に発信していきたいという、自己表現の一つかなと。誰かのためではなく、自分のためという意味です。