do-log

子どもがいるから、自由に生きる。

●●、仕事辞めたってよ

 先週、仕事を辞めました。勤務期間は2年ちょっと。あまり綺麗な辞め方ではなかったのですが、これでいいのだと思っています。そして、仕事を辞めたことについて、所管をまとめておきます。やめた理由は大きく分けて、3つです。

1.合わない仕事

 細かすぎる上司の存在に困らされましたが、これは、上司がどうこうというより、単に職種であったり、仕事のやり方や考え方が合わなかったのでしょう。経理という仕事は、とにかくミスなく仕事をしてなんぼ。完璧に仕事をしてなんぼ。そのきめ細かさを、そもそも自分は持ちあわせていませんでした。技術以前に、適正がなかったということだと感じています。結果として指摘されてしまうことが多くなり、ストレスに感じるようになっていました。また上司から色々話を伺う中で、決して自分のことを槍玉に挙げているわけではないことはわかりました。上司自身がやってきた仕事のやり方を、伝えようとしてくれている。ただ、その仕事のやり方自体が、今の時代にマッチしていないのではないか?(上司は、周りを固めて固めて固めて固めてそこでようやく動き出すやり方。自分は、もっとスピード感をもってガンガンやっちゃえばいいのでは?という考え。)と思っている自分としては、なかなか納得しがたいものがありました。そのギャップにかなり苦しみました。

2.違うと思ってもサラリーマンは従わなければならない

 また、自分が違っていると思っていることでも、会社(上司)の指示であればやらなければならない。そのことに納得ができなかった。(サラリーマンであれば、当たり前のことなのでしょうが。この時点で致命的です。)ましてや、それをやるために、他の部署の人にもお願いをしなければならない。「なんでそんなことしなきゃいけないの?」と他部署から言葉を返される。自分も違うと思っているのに、会社(上司)の方針なので同じ依頼をしなければならない。やっぱり反発を受ける。これはストレスで仕方がなかった(自分も違うと思っていることで、なんで反発を受けてなければいけないんだ…というジレンマ)。この辺りについてはちゃんと上司に主張(自分はこのやり方は違うと思います。的な)はしていました。でも、それを覆すだけの能力や言葉、実績を持っていなかった。また、覆すための能力や言葉、実績を身につけることが、本当の意味で自分のスキルアップになるのかといえば、それもまた疑問でした。相手を黙らせるために身に付ける知識って、本当に必要なものなの?意味なくない?と思ってしまっていました。

3.非合理的ものが煩わしくなった

 そして、日本企業的な商慣習(月曜の全体朝礼、内勤にも関わらずジャケットを着てネクタイを締める、誰も読まない議事録を書く。などなどなどなど)や、合理的とはいえない習慣(毎日満員電車に乗る。土日に休んで平日仕事をする。お盆の季節にみんな揃って高い金払って、混雑しているとわかっているところに出かけたり旅行に行く。台風や雪などで交通機関が麻痺するとわかっているのに出社する。在宅での作業を認めず、必ず出社を強制するなどなどなどなど)、一定上の規模であれば必要なコンプライアンス上の制限(フリーソフトの使用禁止、業務上のスマートフォンの使用禁止などなどなどなど)、全てが嫌になってしまった。これら全てが馬鹿らしくてしょうがない。今、ゼロから仕事を設計するとしたら、絶対にやらないですよね?そんな制限、無意味ですよね?ということについて、それをやらなければいけないことに不満が溜まっていってしまった。前前職が小さい会社だったので、比較的自由にやれていた。その反面、ガチガチに固められている前職の環境を余計に不自由に感じた。というのもあると思います。

まとめてみて

 このように書いてみると、そもそもなんで自分はサラリーマンになったんだろう?というほど、サラリーマン的なものに拒絶反応が強いことがわかりました。少なからず1、2については、一定規模以上の会社では体質的に仕事ができないということだったのだと思います。この人!という上司に巡りあうことができて、かつ会社の規模が小さければ、1,2はクリアできるので問題ではなくなりますが(前前職はこの条件にピタリとはまっていたので、5年続けることができました)。

 ただし、3番がネックになるので、やっぱり今後は会社勤めは厳しいでしょう。なんとしてでも、自営業的な自由な働き方で、生きていく術を探る必要がありそうです。このあたりについては、次の記事に書きます。

以上、【do-log】でした!